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    Halloween かぼちゃの話。

    2011年10月30日 14:01

    子供のころサッカーつながりでアメリカ国籍の同級生がいました。
    英語を話す両親だけどお母さんは日本人でパパはアメリカ人だったようです。
    その友達のうちに行くと、いろんなところに外国のような雰囲気があってまだまだまったく外国に縁のなかったハナタレ小僧のisshyにはそれはそれはとても新鮮でした。
    夏にはBBQパーティー(といっても小庭での焼肉)や冬はクリスマスに誘われたんですが当時からハロウィンはあったように記憶しています。もしかしたらその後の長い人生(40年だからね・・・笑)の中で記憶がクロスしているのかもしれませんが・・・
    このカボチャは怖かったよ。カボチャというと、今の感覚では私なりにいうと「畑の暴れん坊」です。畝というものがあり、植物たちはその畝の中で秩序を守って生育していくのに、このカボチャときたら、狭いとおもいきや隣の畝へ、木があるなと思えば梅ノ木にも登っていく勝手気ままな暴れん坊なのです。そのうえ、私はこのカボチャについては今まで一回も絶品だ!旨い!って思ったこともない野菜です。ま、どうでもいいヤツなのに、畑をグチャグチャにするから嫌いですわ!笑
    来年はこのカボチャを作りたくないけど、他の畑の使用人はどうも好きみたいです。困っ困った。ってそんなにこまらないけど、まあカボチャはいらない人なんですから・・・

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    晩秋の京都御所はなつかしい思い出の中・・・

    2010年12月08日 00:47

    小学生の頃はどんなところで遊んでいましたか?
    私は3・4年の頃は堀川通りの現在のルビノ堀川の場所が広っぱだったので、そこで、野球や探検したり、鬼ごっこみたいなやつしたりしていましたが、高学年になるとサッカー中心になって、広場じゃなくグランドが確保できる学校や京都御所でよく遊んだものでした。玉砂利の京都御所の用水路には、オイカワやハヤなんかがいっぱいいて、竿なしの仕掛けでよく釣ったりしたものでした。イチョウの木には当然銀杏がなりますが、よく軟球を放り投げてまだ木にぶら下がってる銀杏を落としてから臭いのを我慢して持ち帰ると親父や近所のおっさんたちが喜んでくれました。炒ってお酒のあてにしていたみたいです。暗くなるまで遊んでた、そんな京都御所の森へ久しぶりに訪ねてみました。
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    樹齢何年でしょう非常に大きなケヤキの木が無造作に倒れていました。食卓としても十分なほどの幹の直径、見事です。余りに大きくなりすぎたためでしょうか。しかし、この森には立派な大木がまだまだいっぱいあります。
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    立入り禁止じゃない区画は下草も茂り本当に雑木林の植生そのままです。
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    母と子の森と名づけられたこの森には、野外図書館があります。貸出しはできないけどそのまま、ここで読んでくださいっていう感じ。近くにはテーブルと椅子が無垢の木でできていて、とてもいい感じです。絵本や図鑑が晴れの日限定で読むことができるそうです。
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    さまざまな色をした秋の広葉樹を集めてみました。こんなところでガスコンロで湯を温めコーヒーなど作ったら美味しいでしょうが、それはできない禁止区域。皇宮警察の警官に叱られますね。
    京都で紅葉の見物はいたるところで可能ですが、こんなにも静かでナチュラルな紅葉を堪能できるのはやはりここが一番じゃないでしょうか。
    どっかの超高額拝観料駐車料を支払って行列作って見るお寺とはえらい違いです。その上、個人的には子どもの頃を心の中でいっぱい思い出した、素晴らしい一日になりました。
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    CANOE 初めての思い出の場所

    2010年11月21日 18:11

    私が雑誌なんかで紹介されていたカヤックに惹かれてまず、スクールを受講したのはもう20年も前の秋。
    当時はどうなんでしょう?今よりそういったブームは来ていたのかも知れません。
    晩秋だというのに、週末のスクールの受講者は20人近かったかなあ。

    先日そのスタート地点の木津川・笠置へ仕事で行きました。

    笠置大橋は今も変わらないけど、渡りきったところにある料亭はもう廃業されているようです。

    この橋の川上は大きな岩が独特の景観を作っています。スクールのことが思い出されます。
    はじめは私もガチガチに緊張していました。体に力が入っていたのでしょう。午後からの川くだり約5kmは、スリリングでした。夕方スクールが終了して車で帰ってきたあと入った温泉はとても情緒があったものでした。
    大橋のすぐ横に歩道橋があるのですが、そこからは、初めて通過した、小さな瀬が今もあります。
    この川の水質は当時からそれほどよくは無かったようですが、昔は川砂がサラサラと流れる清流だったと聞いています。この川のもっと下流は父の故郷でもあるので、いつかこの川はもう一度ゆっくり永く時間をとって、下りたいと思っています。

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    29歳のグミの実

    2010年06月07日 01:54

    6月は私にとっても誕生月。自分の中でどこか懐かしい好きな季節。
    母もアジサイが好きで6月は好きな季節よっていってたけど、今年もその6月がやってきました。
    先日お客様のEさん宅にお邪魔したとき、「isshyさんちょっと・・・」っていって、裏庭へ連れて行くのです。
    そこにはなんか大きく育った樹がありました。
    Eさんは生まれてから今月で29歳に。その樹はご両親がEさんの生まれた月に記念に植えた記念樹だったのです。
    りっぱに育って、赤い美しい実をいっぱいつけているじゃないですか。ご両親の大きな愛を裏庭で感じることができるEさんはとても幸せ者です。そして、これからも毎年6月になれば実をつけるこの樹はEさんのしあわせを見つめていくのでしょう。早く安心して好きな彼の元へ旅立っていきなさい。そういってるようでした。Eさんの旅立ちはもうすぐです。
    枝を少し切って、私に渡してくれました。いくつかをいただくと、懐かしい甘酸っぱい味がしました。
    持ってかえってジャムを作ってみます。そう話して少しお土産にいただきました。ちゃんとできるのか心配だけど。笑
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    グミ。もう何年も忘れていました。6月の果実です。
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    グミのジャムです。お砂糖とレモン汁だけのシンプルな無農薬無添加ジャムです。

    サンタの来ないクリスマス

    2008年12月23日 23:23

    最近は11月にもなれば街はクリスマスモードになって、季節感が損なわれてるような気がしてなりません。美しい秋の季節を充分に楽しんでから、せめて12月に入ってからにしてほしいものです。
    フライングはだめなのです。
    ということで、いよいよ本気のクリスマスがやってきました。
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    といっても、昔のようにサンタがくるわけでもない、ちょっとしらけたクリスマスの我が家です。
    昔は楽しかったよなあ。とちょっとなつかしく振り返る私なのです。
    25日には終い天神があります。W進学の今年はちょっといってみようかなあとおもっています。
    子供のころよくいった天神さんは、懐かしいのです。

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    緊急投稿!ふたつのBLOGが惜しまれて閉鎖!!

    2007年10月30日 00:29

    このBLOGをご覧になってくださってる皆様。お元気ですか?
    いつも見ていただいてありがとうございます。季節は秋も深まってまいりました。
    夏男の私は日に日に元気がなくなり、今や冬眠を備えての食糧補給に精一杯です。笑
    さて、そんなある日、一度に2つの好きだったBLOGが閉鎖になることを知りました。
    お二人はぜんぜん偶然なんですが、一度に急にそうなってしまうのが寂しくてねー。
    いいBLOGだったんですよ。どちらも。だから今回もうすぐ閉鎖されてみることすらできなくなってしまう、そのBLOGをいまさらながらですが、ご紹介したくて、この記事にしました。
    というか、感謝でいっぱいです。今まで拙い私のBLOGにもよくコメントいただいたりしたものでした。それぞれにご事情もあり、詳細はわかりませんが、彼女たちは一歩を踏み出すのでしょう。勇気がいることかもしれないし、簡単なことなのかも知れない。でも、残されたBLOGは(作品は)素晴らしいものです。
    BLOGというものは更新が命なのかもしれないです。書く側にとっては、時にそれが辛くなったり、邪魔になったりばかりじゃなく、壁や空気のように存在することがわずらわしくなる事もあるのはわかっているつもりです。読むほうは楽です。リアルを知らない作者の作品を読んだり眺めては勝手なコメントしたりするだけだから。
    本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。彼女たちのこれからに幸あれ…

    ゆく河の流れ
    なつのまったり生活

    本当にありがとうございました。

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    母校へ

    2006年10月25日 12:35

    仕事で子供のときに育った上京区の西陣あたり、2.3件の用事があったので、めずらしく市バスを使っていきました。小学生の頃はクラスの大半が西陣織関係の家内工業や和装飾品・染物関係の仕事をされている友達が殆どでした。ご存知のとおり、今はもう少なくなってしまい、路地を歩いていても平日の昼下がりあまり人が歩いていません。寂しさがこみ上げてきます。耳を澄ましたら必ず聞こえていた機織の音。それさえも全然聞こえない静まりかえった、まるでゴーストタウンさながらの不思議な街角です。
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    たけもと君が住んでいた通りも人影が無いし、駄菓子屋だった場所も今は駐車場。突き当たりに見える小学校の校舎は、128年の生涯を終えて廃校となり今でも地域住民に利用されています。
    今思うと、私の母校、在校中に100周年を迎えて運動場で人文字をつくったこと、校舎の地下には怖い地下室があり、そこに石炭ストーブの石炭と薪を日直当番が取りにいかなくてはいけないけど、ストーブはみんなの中心で暖かいし、そこで先生はパンを焼いてくれたり、午後からは雪遊びでぬれた手袋なんかを乾かしてくれたり、暖かい思い出となって残っています。寒さはいまより厳しかっただろうけど、教室はとても暖かい空間だったように憶えています。
    今の子供たちは冷暖房完備、地下室も行かなくていいけど、大人になったとき暖かさを思い出すのでしょうか?少し心配です。
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    懐かしくなり、平成9年に廃校になった母校を訪ねたのですが、地域の人が管理されていて、運動場に入れていただいたり、校舎も覗かせていただきました。いまのところ、この校舎や運動場は建替えられたり壊されたりは予定は無いそうで、少しホッとしました。非常に重厚な造りのこの学校。実は近代的学校教育制度のさきがけとなり明治2年に創設された、日本で一番最初にできた中学校で、後に小学校になり市内では初の鼓笛バンドがあったり、高学年のスキー教室も最初に取り入れた学校だったそうです。校庭には当時はそんなに大きくなかったヒマラヤスギが校舎以上に成長しているのが印象的でした。
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    ↑この人文字の中に私がいます。確かに・・・
    そして、写真の隅っこに私の家があるのです。懐かしい写真でした。
    同窓会は校庭集合っていいたいです。いつまで残してくれるのでしょうか?ただ残すだけじゃなく、世の中のためになっているのだから、学校ってやっぱり素晴らしいですね。今度来るときはいつかわからないけど、それまで元気でって、挨拶して母校を後にしました。

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    ラーメン屋の歴史とオヤジさんの人生

    2006年09月24日 17:58

    世の中には、ラーメン屋について語ったBLOGやガイド本もたくさんあるので、私は今までラーメン屋は紹介しませんでした。
    ということで今回は、初めて紹介することになります。
    でもはじめに誤解しないでほしいのは、必ずしもおすすめの店や絶品の旨さや、そういう尺度は、個人差があるのでラーメンに関してはそういう紹介の仕方はしたくないのです。
     高校時代からよくいってたお店で、今回の「らんたん」があります。
    久しぶりに仕事で母校を訪ねることになった先日。年取った先生の顔見てたら(失礼!!当たり前ですよね)急に下校時に立ち寄った店を覗きたくなりました。まずは、駄菓子屋。これはもう廃業されていました。
    部活の帰りによく、ミリンダやチェリオを飲みパンをほお張った思い出が浮かびました。残念。
    次にさほど旨くも無かったのに、わりと高価なうどん屋は、味や値段より美人の二人姉妹のおねーさんがいたので、よくいってました。まあ、看板娘とでもいうのかな。でもその店は後日もう姉妹は嫁いでいないって言う報告を後輩から受けていたし、まあもしまだいらしても、50代後半のはずなので、その店はパス。・・・笑
    で、チャリンコで乗り付けてお腹すかしていったラーメン屋にいきました。よく自転車の置き方なんか、注意されたり、マンガや週刊誌を元の位置に置けとかそういう教育も受けたお店でした。
    当時は私は17歳ごろ。まだ、市内にそうたくさんのラーメン専門店はなかったように記憶してます。有名なのは天下一品でした。でもまだチェーン展開はしてなかったかも。第一旭もまだ本店のみでチェーン展開はなかったようでした。という意味ではこの「らんたん」も京都のラーメン激戦区で長年行き続けてきた伝統のお店といえそうです。
    でも、さすがに午後の3時ということもあり、店内にはお客さんはいませんでした。この店のオヤジさんのことは私はよく憶えています。でもオヤジさんは私を知らないようです。当たり前ですよね。憶えてられないでしょう笑
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    ちょっと聞いてみました。「大将!いつからこのお店あるんですか?」
    すると、色々話してくれました。実はこの場所では32年たっているけど、屋台の頃を含めると42年だそうで、懐かしそうに話してくれました。私も初めてこの店のラーメンを食べたのはかれこれ30年前だったことに気づき、オヤジさんはそのころの仕事の充実さをたっぷりと聞かせてくれたのです。一度しかない人生をラーメンに捧げた人生。
    がむしゃらに仕事が出来る年代。余裕が出てきてほかの事に夢中になってしまう怖さ、永い年月の間に痛めてしまった体のこと、そしてリタイア入院。復活してからもかつてのような体調に戻らず、耳も少し遠くなって不自由なこと、最近の若い奴らの注文の声が小さいから・・・って少しぼやきも交えて、でも懐かしそうに振り返ってくれました。
    そんなオヤジの話を聞きながら私は懐かしい味を楽しんだのです。
    帰り際に、まるで取材に来たみたいだけど、これからこの店どうしていくの?ってきいて見ました。オヤジさんは、商売は難しい時代ですな。
    ラーメン屋は星の数ほどできたけど、畳む店も多いので、頑張って50周年まで続けたいっていってました。それまで、体が持つかどうかって謙遜もされてましたが、オヤジさんの肌つやは本当に若く、10歳以上は若く見えてました。いつもは白い帽子かぶってるから、さらに若く見えるそうです。
    オヤジさんは丁寧に両手を合わせて、ありがとう、必ずまた来てください。といいました。また、来ます!って私ははっきりと答えて、お店を出ました。
    胃もたれしないラーメンは、素材だけじゃなく、オヤジさんの話の中にもありました。お腹も心も堪能しました。ガンバレオヤジさん!!
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